松任染は現代で作ることができるのか

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松任染とは

松任染は石川県白山市(旧松任市)で作られていた藍染です。
様々な種類がありましたが、特に有名だった松任染小紋を作ると仮定して考えてみました。

松任染について詳しくはこちら↓

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松任染小紋の特徴

・染め上がった木綿の表裏とも、小紋の白がくっきりしている。
糊に工夫をしており、最後に糊を布地にぬる技術が優れていた。

・木綿を晒す晒屋、染め上がった木綿を木槌で打ち艶を出す打屋、仕上がった木綿を畳む出来屋、型付けをする型屋の分業で作られていた。

現代で作ることができるのか

どこまで松任地域で調達できる材料を使うべきなのか線引きをするのは難しいですが、ここでは布の原料である綿、藍染の藍、染め物に必要な水が調達可能か調べてみました。

綿

明治初年の松任地方の衣料原料年間生産量表によると綿は生産されていたようです。
松任染小紋に使われていた木綿生地は銭屋五兵衛から提供されていたので、この頃の松任地域の綿の生産は自家用だと思われます。
銭屋の時代は綿の自給率100%だったと思うので、日本産の反物で染められていたと考えられます。
現代の綿の自給率はほぼ0%なので、日本の綿で作られた反物がほぼ無いです。
100%日本産(松任地域の材料100%)を目指すのであれば、綿を育てる必要があります。
2020年に和綿を育ててみたところ、天候に恵まれず収穫量は少ないものの、栽培はできました。
反物を織るのであれば栽培方法にもう少し工夫が必要だと感じました。

明治初年の松任地方の衣料原料年間生産量表によると、藍の合計は173,034斤(103.8kg)と書かれていました。
生葉を乾燥させると約1/7の量になり、乾燥すくもにすると乾燥葉の70〜75%ほどの量になります。
明治初年は紺屋の数がピーク時より減少しているので173,034斤でまかなえたと考えます。
ちなみに、現在松任地方で藍の生産はありません。
2020年に藍を栽培したところ、想定より多く収穫できました。藍は松任地域のものを使えそうです。

無地染め、小紋染め、模様物、地白染め、綿糸染めなど様々な技法開発されましたが、染め物に適していたとされた河川は20年以上前にコンクリート三方張りになり、今では川に入ることができません。
発酵建をする場合天然の水が必要で、なおかつ鉄分を含んだ水が理想です。
松任の水にこだわるのであれば、発酵建に使う水は雨水を使うのが経済的だと思います。(井戸を掘れる財力があれば別ですが)
松任地域の水道は地下水なので、染めた布を洗う水は少量であれば水道水を使用するのがいいのかなと思います。

まとめ

綿、藍は自分で栽培することによって調達可能だと思います。
水は工夫次第で確保できそうです。
松任染の現物は白山市立博物館で見ることができますが、いつか松任染の着物を見てみたいなぁと思っています。

参考文献

松任市史現代編下巻 P736
染織α1990年7月号

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